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『大発見よ、大発見』母と紐解く過去生
『大発見よ、大発見』と言って 母親から興奮気味に電話があった 『長崎に行ったあとでさぁ、 色々調べてたらわかったことがあって!』と母 父親が自社ビルを建てる時 自宅部分にどうしても入れたいと買ったのが マリアさまが描かれた大きなステンドグラス。 他にも3枚ほど。 仏壇屋なのになぜステンドグラスなのか? 私も疑問に思ってたし、母も疑問に思ってた 長崎で、母がいの1番に行きたかった場所が 高校の頃に行った大浦天主堂 長い階段を登った先に教会がそびえる 『私、大浦天主堂でキリスト教を 伝える立場にあったと思う だから昔から子どもの面倒みるの好きだし おばあちゃんやおじいちゃん みんな看取ってきてそれが苦にならないし 中学高校大学までキリスト教だったし それで江戸時代の当時 遊郭で番頭さんやってたお父さんが この教会を見にきたんだと思うわ。 だからあのステンドグラス。 いいって思ったんだろうね』 でね、と母が続ける 『ともちゃんが遊郭に連れて行ってくれたでしょ。 私には必要ないって思ったけど 奥にある青柳っていう料亭を見た時に ここにお父さんいたわって思

森をツナグ
11月13日読了時間: 3分


母との九州旅行④完
その日の夕方に弟たち家族と 太宰府で合流、原鶴温泉へ 博多織の牡丹が刺繍された珮後香 亡父も母も好きな牡丹 結婚50周年の記念に間に合うように 風子さんが急ぎで素敵に仕上げてくれた それだけでなく 風子さんは母が気に入った糸かけ曼荼羅を サプライズプレゼントしてくれた なんと粋なお計らい みんなでまたお祝い こうやって弟たち家族も新居&九州に きてくれて、みんなで集えること ありがたいしかないよ 私は弟のお嫁さんに ある気持ちを抱いていて お酒入って涙ながらに吐露 弟のお嫁さんは実にできた人で 本当に母の面倒をよく見てくれる 父が亡くなり老朽化した実家を取り壊した後 もともと彼女が購入したマンションを 母に住まわせてくれたり 近くに住んでいて 週に何回かご飯を作ってくれたり 母もそんな彼女が大好きで 本当に彼女ともう1人の弟のお嫁さんが よくしてくれるから 私は安心して福岡にいられるのだけど 私は11歳年下の可愛い弟が奪われて あまりに出来すぎるので お母さんが奪われたような気もして 当初、恥ずかしながらそんなみみちい 姑根性が湧き起こってきて

森をツナグ
11月8日読了時間: 2分


母との九州旅行③
翌朝は遊郭のあった丸山からスタート 父親は昔、遊郭の番頭さんだった 記憶があって 私はその頃に会っている この料亭の番頭さんだと 思うんだけどと母を連れて行ったら なんかわかるわ…これまで疑問に思ってきた 謎がこれでとけたわ、と 料亭は高台にあるので、 急な階段で料亭の入り口までのぼる 実家の仏壇屋の自社ビルには 1階の中央部分に2階までの 大きなエスカレーターがあった 母はこの階段を見て だから、あの作りにしたのね…と エレベーターもあって、わざわざ エスカレーターをつける必要ないのに わざわざつけた理由を納得していた さらに、母はずっと父の骨董や物を選ぶ 鑑識眼の素晴らしさとセンスのよさが どこから来たのか疑問を持っていたという 田舎育ちでもともと家が貧しかった父 仏壇の納品先で立派な家や庭を見ることが あっても、それ以上のセンスのよさは 身につける方法がなかったはず 過去の丸山遊郭で、たくさんの舶来物の 骨董や文化に触れていたとしたら 今世もしつこい性格だったけど笑 過去もしつこい性格だったとしたら 全て覚えて自分のものにしていただろう

森をツナグ
11月7日読了時間: 3分


母との九州旅行②
母との九州旅行② 翌朝は太宰府天満宮の朝拝から まずは延寿王院の御神牛の前で♡ こちらの御神牛を作られた富永朝堂先生は 御神牛がみんなに慕われるようにと 背中の曲線を宝満山の山並みにされたという 宝満山はみる場所によって 山の稜線が違って見えるのだけど 新居あたりからの宝満山が とても綺麗に見えると 朝堂先生がスケッチされて 御神牛の背中にされたそうだ そんな話をしながら、 私のイチオシのきくち♡ 梅ヶ枝餅♡をいただきながら 太宰府を案内する 次は宇美八幡宮へ 『木からこんなにエネルギーもらえて 話せる感じがするのは初めてだわ』と 母、感動 『こっちの木は大変な苦しみを 乗り越えてきたみたい』 見る人によって 見るタイミングによって 木の表情もメッセージも変わる その後は唐津の虹の松原を経由で長崎へ 『ちゃんぽん大好き 食べたかったのよ』と母 お腹すいて、一気に食べたら 普段は玄米に納豆、味噌汁みたいな 生活をしてる母は 『なんか口がギトギトする』と笑 後先考えずにやりたいことを 一気にするところはすごくよく似てる なぜ長崎だったのか? 過去世で

森をツナグ
11月6日読了時間: 4分


母との九州旅行①
母との九州旅行① 祖母50回忌と結婚50周年で 実家に帰省したあとは 一緒に太宰府の新居へ 新幹線の中で 『これ、太宰府に行ったら欲しいのよ。 1年半くらいずっと欲しくて』と 写メを見せてもらったのが なんと 蛇の目うさぎ風子さんが作った珮後香 風子さんには、 太宰府にきた当初から本当にお世話になっていて たくさんの素敵なご縁を繋いでもらった。 しかも、先日、両親から結婚時にもらった 桐だんすをお譲りしていた。 2竿あって新居には1竿しか置けないので、 大切にしてくださる方にと思って、 ピンときたのが風子さんだったのだ。 風子さんもちょうどよいタンスが欲しくてと、 お互い嬉しいねといいあっていたのだ。 新居について少しゆっくりしてから 早速、風子さんのところに向かう。 なんと、珮後香は桐ダンスの上に並べられていた 様々な偶然に感激やら驚くやら。 当初スクショにとっていた図柄を見せてもらった後、 最後に『試作中だけど』と 博多織の牡丹柄を見せてもらった 『これ亡くなった夫も 私も牡丹が大好きで♡』と、母が感激 結婚50周記念にプレゼントすることに.

森をツナグ
11月5日読了時間: 2分


祖母の50回忌と両親の結婚50周年記念
祖母の50回忌と 両親の結婚50周年記念でした 祖母の50回忌は実家の仏壇の前で法要 3年前に亡くなった父親が 天国から見守ってくれているかのようでした 私が生まれた1ヶ月後の 年末に亡くなった祖母 本当に優しい人で 私が生まれたことを とっても喜んでくれたという わずか1ヶ月の間だったけど 本当に幸せそうな笑顔で 私を抱っこしてくれていたそうだ その姿を見ていた母親も 本当に幸せだったという 2歳年下の弟は 僧侶の道へ 11歳年下の弟は 仏壇屋を継いでくれた 僧侶である弟が法要の導師を 立派につとめてくれた 心を込めてみんなでお祈りすることで 祖母にも父親にも繋がった尊い時間 天国のお父さんも一緒に法要をあげて 喜んでくれているようだった 母親の希望で 女性陣はみんな着物で 弟のお嫁さんたちも一緒に♡ みんなで着れて祖母もお父さんも 喜んでいるね 結婚50周年のお祝いには子どもたちから バラ50本をプレゼント 父親は生前、母親の誕生日に バラの花束を送っていて 母親は毎年 そのバラを楽しみにしていました♡ みんなで集えることが本当にありがたくて

森をツナグ
11月4日読了時間: 2分


母の乳がん経験をまとめた冊子 『乳がんとともに生きる』発行しました!
母が乳がんと向き合いながら生きた 7年間の経験をまとめた冊子 『乳がんとともに生きる』 を作りました。 がんと診断されたとき これからどうすればいいのか。 治療をするのか、しないのか。 そんな選択に迷う人も多いと思います。 母は最初の手術から1ヶ月半後、転移が 見つかりました。 母は医者から勧められた化学療法を受けず、 食事療法や自然治癒力を高めるお手当て、 そして長年学んできた真言宗を通した 仏教の教えを支えに、 自分の信じた方法で生きてきました。 7年の間には、穏やかに過ごせる日もあれば、 主治医に「もう難しいかもしれない」と 思われた時期もありました。 それでも、今こうして元気に過ごしている 母がいて、その経験を伝えたいと願い、 この冊子を作ることになりました。 私は、その想いを形にするお手伝いをしました。 「少しでも、本当に必要としている方の手に 届いてほしい。」そんな母の願いを込めて、 数量限定で無料配布 します 気になる方や、周りに必要としている方が いたら、ぜひ届けてもらえたら嬉しいです 申し込みは申し込みフォームからどうぞ

森をツナグ
3月13日読了時間: 1分


ずっとちゃんとしなきゃで頑張ってきた人たちは、もう解放されていい
毎年、実家に帰ると 言いたいことが言えずに いつも太宰府に帰ってくると咳がでてた ひどいと1ヶ月くらい治らなくて 肺の奥深くまでの咳でほんと辛かった でも、帰らないっていう選択肢はなかったし 帰るものだと思ってた 結婚してから最初の10年は 結婚の時にもらった着物を着ると決めて 朝6時ごろから着付けに行って 初詣に行った そうでもしないと 着物を着る機会がなかったし せっかくもらったものをやっぱり 着たい気持ちもあったから、頑張った 10年経って、本当に頑張ったと思えたから 着物を着るのをやめた 11年目で、着物を着ずに行った初詣は 本当に自由で嬉しかった 誰から言われたわけでもない 自分で決めたことなのに 正月前になると、決まってイライラして ダンナさんにあたってた 車もそのエネルギーを吸って パンクしたりしてた 時間かけて、お母さんとお父さんと バチバチしながらもたくさん話して いまは何のわだかまりもなくなった いまは尊敬しかないし、両親のもとに 生まれてきて本当によかったと思ってる♡ 実家に帰らないっていう選択肢も できるようにまでなった

森をツナグ
2024年12月31日読了時間: 2分


母の日に『生み育ててくれてありがとう』をようやく言えました
一週間遅れの母の日をお祝いしました 湘南出張が終わって 熱海で待ち合わせして 昔、よく家族旅行で連れて行ってもらった 懐かしの旅館、海石榴つばきへ 15年ぶりのつばきは やっぱり気持ちのいい空間で 着いた途端に、ふたりでいいね〜♡と ・ ・ 32歳で夫と結婚してから 義母と一緒にいるとすごく居心地がよくて こんなに心地いい親子関係が あるのだとびっくりしました 実家の母とは反発も喧嘩もするけど 仲がいいと思ってけれど なぜこんなに受けとる感情が 違うのだろうという違和感を感じて そこから実家の母との関係を 見つめはじめて15年 不妊治療してた時とか 子どもが生まれたら自分がされたように 教育ママをしちゃうんじゃないかとか お母さんにぶつかってぶつかって 感情が揺さぶられて苦しくて 母子関係を乗り越えたいのに 本当に言いたいことが言えない 言おうとすると涙がダダ漏れになる すごく苦しくて吐きそうな絶望感に 何度も襲われながらも お母さんが死ぬまでに 伝えたい言葉たちを必ず言うんだと 絶対に諦め

森をツナグ
2023年5月26日読了時間: 5分


父親の80歳『傘寿』のお祝いをしました
実家で父親の80歳『傘寿』のお祝いをしましたふたりの弟家族もみんなで大集合せっかくの機会なので、女性陣は着物を着て華やかに。 遡って、今年のお正月のことコロナで帰省できず、母親がポロッと漏らした一言。 『今年は初めてお節料理を作らなかったのよ。初めて夫婦ふたりきりで迎えて… お節料理をこれまで一生懸命作ってきたけど、誰か継ぐ人はいるのかなぁ。ちゃんとそれぞれの記憶や味に残っているから、それでいいんだけど』と。 ちょっと寂しそうな感じでした。 これまでお正月は帰省していたので、お節料理はいつか作らなきゃと思いつつ、作る機会も作る気もなかったわたし。母親はそんなこと思っているともつゆ知らず、そんな風に思っていたんだと深く心に残りました。 父親にはこれまでも誕生日のお祝いはしていたけれど、80歳の大きな節目にこれまでの感謝を心から伝えたい、どうしたら一番伝わるかを考えた時『そうだ、お節料理を作って、持って行ってお祝いしよう』と思いました。 毎日一生懸命仕事をして、本当に忙しい日々の中、お誕生日や年中行事は欠かさずやってくれた両親。特に美味しいものとお酒

森をツナグ
2021年3月26日読了時間: 5分


母と福岡〜九州をめぐる旅。とてもいい旅となりました。
母と福岡〜九州をめぐる旅。太宰府、糸島、母親の生まれ故郷の久留米、そして由布院へ。母とふたりで旅に出るのは、これで4回目ですが、とてもいい旅となりました。 夫と結婚してから、義母と一緒にいるとすごく居心地がよくて、こんなに心地いい親子関係があるのだとびっくりしました。実家の母とは反発も喧嘩もするけど、仲がいいと思ってました。でも、なぜこんなに受けとる感情が違うのだろうという違和感を感じて、そこから実家の母との関係を見つめはじめました。 日常的にも色々その違和感について話すようになりましたが、離れているし、なかなか日常では話しきれません。だから、これまで自営業の仕事が忙しくて母娘旅なんてしたことがなかったけれど、思いきって旅に一緒に行って話すことにしました。 4回にわたって行った母との旅行。 1回目の箱根は、わたしの感情を母にぶつける旅でした。小さい頃からたくさんの習い事をしてて、小学校高学年には7-8種類、全ての習い事をきちんと一生懸命やってました。当時は気づいたらやっていて(やらされていて)、好きとか嫌いとかの問題ではなくやる、反発しながらもや

森をツナグ
2018年5月29日読了時間: 5分
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