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母との九州旅行③
翌朝は遊郭のあった丸山からスタート 父親は昔、遊郭の番頭さんだった 記憶があって 私はその頃に会っている この料亭の番頭さんだと 思うんだけどと母を連れて行ったら なんかわかるわ…これまで疑問に思ってきた 謎がこれでとけたわ、と 料亭は高台にあるので、 急な階段で料亭の入り口までのぼる 実家の仏壇屋の自社ビルには 1階の中央部分に2階までの 大きなエスカレーターがあった 母はこの階段を見て だから、あの作りにしたのね…と エレベーターもあって、わざわざ エスカレーターをつける必要ないのに わざわざつけた理由を納得していた さらに、母はずっと父の骨董や物を選ぶ 鑑識眼の素晴らしさとセンスのよさが どこから来たのか疑問を持っていたという 田舎育ちでもともと家が貧しかった父 仏壇の納品先で立派な家や庭を見ることが あっても、それ以上のセンスのよさは 身につける方法がなかったはず 過去の丸山遊郭で、たくさんの舶来物の 骨董や文化に触れていたとしたら 今世もしつこい性格だったけど笑 過去もしつこい性格だったとしたら 全て覚えて自分のものにしていただろう

森をツナグ
11月7日読了時間: 3分


祖母の50回忌と両親の結婚50周年記念
祖母の50回忌と 両親の結婚50周年記念でした 祖母の50回忌は実家の仏壇の前で法要 3年前に亡くなった父親が 天国から見守ってくれているかのようでした 私が生まれた1ヶ月後の 年末に亡くなった祖母 本当に優しい人で 私が生まれたことを とっても喜んでくれたという わずか1ヶ月の間だったけど 本当に幸せそうな笑顔で 私を抱っこしてくれていたそうだ その姿を見ていた母親も 本当に幸せだったという 2歳年下の弟は 僧侶の道へ 11歳年下の弟は 仏壇屋を継いでくれた 僧侶である弟が法要の導師を 立派につとめてくれた 心を込めてみんなでお祈りすることで 祖母にも父親にも繋がった尊い時間 天国のお父さんも一緒に法要をあげて 喜んでくれているようだった 母親の希望で 女性陣はみんな着物で 弟のお嫁さんたちも一緒に♡ みんなで着れて祖母もお父さんも 喜んでいるね 結婚50周年のお祝いには子どもたちから バラ50本をプレゼント 父親は生前、母親の誕生日に バラの花束を送っていて 母親は毎年 そのバラを楽しみにしていました♡ みんなで集えることが本当にありがたくて

森をツナグ
11月4日読了時間: 2分


ずっとちゃんとしなきゃで頑張ってきた人たちは、もう解放されていい
毎年、実家に帰ると 言いたいことが言えずに いつも太宰府に帰ってくると咳がでてた ひどいと1ヶ月くらい治らなくて 肺の奥深くまでの咳でほんと辛かった でも、帰らないっていう選択肢はなかったし 帰るものだと思ってた 結婚してから最初の10年は 結婚の時にもらった着物を着ると決めて 朝6時ごろから着付けに行って 初詣に行った そうでもしないと 着物を着る機会がなかったし せっかくもらったものをやっぱり 着たい気持ちもあったから、頑張った 10年経って、本当に頑張ったと思えたから 着物を着るのをやめた 11年目で、着物を着ずに行った初詣は 本当に自由で嬉しかった 誰から言われたわけでもない 自分で決めたことなのに 正月前になると、決まってイライラして ダンナさんにあたってた 車もそのエネルギーを吸って パンクしたりしてた 時間かけて、お母さんとお父さんと バチバチしながらもたくさん話して いまは何のわだかまりもなくなった いまは尊敬しかないし、両親のもとに 生まれてきて本当によかったと思ってる♡ 実家に帰らないっていう選択肢も できるようにまでなった

森をツナグ
2024年12月31日読了時間: 2分


ピアス、開けました!!!
初めてピアスを開けました〜 ずっとピアスを開けたかった。でも… 「親からもらった体に穴をあけるの!?」 「あんたは肌が弱いから、ピアスの穴なんて開けたら、ぐじゅぐじゅに膿んでくるよ」 という思春期の頃、親から言われた言葉が頭にこびりついて、ぐじゅぐじゅになったら嫌だよな…『やっぱり言うと通りやん!!』って言われそうだよな…と思いながら、いままでぐずぐずと先延ばしにしてました。 当日。美容クリニックに行ったら、受付の方も看護婦さんもすごく丁寧で優しくて。痛いんじゃないか、終わった後ジンジンして膿んでくるんじゃないか、不安だらけのわたしにひとつひとつ丁寧に答えてくれました。 「金属アレルギーでぐじゅぐじゅになるか不安です」 「これまでアクセサリー、特に安いのをつけてかゆくなったりしたことありますか?「 「一度もありません」 「じゃあ、金属アレルギーじゃないですよ」 「!!!そうなんですね!!!」 肌が弱いという刷り込みってすごいなぁと思いました。これまでアクセサリーでかゆくなったことはないし、化粧品で肌荒れしたこともない。

森をツナグ
2023年1月20日読了時間: 3分


プライベートなお話です
プライベートなお話です。 ・ ・ 父が10月中旬に亡くなり、昨日、四十九日を終えました。享年82歳、腸閉塞からの誤嚥による敗血症と肺炎が原因でした。腰が痛くてあまり歩けなかったり、3度ほど肺炎をしていて次に肺炎になったら危ない、と言われてはいましたが、生命力の強いエネルギーの塊のような父親だったので90歳くらいまでは生きるだろうと信じていました。 集中治療室に救急入院してから10日間。何度か面会できて直接手を握って話ができたり、最期の瞬間にも立ち合うことができました。 想いの全てを伝えきり、最後は人工呼吸器をつけて言葉は聞こえなかったけどその想いを受け取って応えてくれている確かな感覚がありました。お通夜の日は、一人で寝るのは寂しいだろうと、葬儀場で隣に寝ながら、まだ本当に生きているようでたくさん話をしました。寂しくて残念な気持ちもありますが、それ以上に最期に一緒にいられて本当に幸せでした。 四十九日までは父やご先祖様を思い、父を想って晩酌したり、伝え残した想いはないか、その想いを受けとりわたしは何をしていくべきなのか考え続ける日々でし

森をツナグ
2022年12月3日読了時間: 2分


『父の日』に自分史のプレゼント
先日の『父の日』。お祝いをするために、実家へ帰っていました。父も今年で83歳。随分と足腰も弱くなって、少しばかり認知症の症状も出てきています。 本当は温かくて優しいけれど、ザ昭和の頑固な父親には、大きな声でよく怒鳴られていました。食事中に正座を崩すたびに「足!!足を崩すとお嫁に行っても追い出されるぞ」と言われ、その度に「何で女だけがそうしないといけないの!」と反発してました。 ここ数年は帰る度に、歳をとったなぁと感じることが多くなりました。「時代は変わった、一生懸命頑張ってきたけど身体も動かんようになってきた」といつも呟く父親に、心からのありがとうを伝えたいと思い続けていました。 祖父がはじめた仏壇の洗濯業を、父親が小売業にして大きく発展させた半生を自分史(ヒストリー)にまとめて生きている間に渡したい。父方の家系図もなかったので辿れるところまで作って残したい。本当にいい人生だったと思ってもらいたい。そう願っていました。2年前ほど前『インタビューさせてほしい、お父さんの自分史を作りたい』と父親に言ったら、『もう一生懸命やってきてそれが全てや。そんな

森をツナグ
2022年6月25日読了時間: 3分


父の日、いつもありがとう
今日は父の日 ・ ひと足先に 太宰府の美味しい和菓子を送って ありがとうを伝えました ・ 以前は、話は色々するけど 価値観が違いすぎて 心から通じあえる関係ではなく ・ でも特に30代後半から5-6年 徹底的に向き合って ・ ようやく 心から繋がっている感じになれて ・ 実家に帰るたびに父親に整体もして 電話をすると優しい父親の声を聞けて ・ 本当に心から繋がれてよかった 関係を諦めなくてよかったと 実感しています ・ 昭和な父親と いまに生きるわたしたち ・ 価値観が大きく違います ・ 反発したり いがみがったり 許せなかったり ・ 大切にしているものが違って それをお互いに尊重できず ・ 小さい頃言われたことを ずっと身体がおぼえていて ・ その部分がぎゅぅぅぅと 無意識に固くなっていることもしばしば ・ 親との関係は 全ての人間関係に通ずる ・ 親との関係は 無意識に身体に残っている ・ 父の日に それぞれのありがとうが 伝えられていますように ・ いまありがとうを素直に 伝えられなくても ・ いつか、心からのありがとうを 伝えられますよ

森をツナグ
2021年6月20日読了時間: 1分


父親の80歳『傘寿』のお祝いをしました
実家で父親の80歳『傘寿』のお祝いをしましたふたりの弟家族もみんなで大集合せっかくの機会なので、女性陣は着物を着て華やかに。 遡って、今年のお正月のことコロナで帰省できず、母親がポロッと漏らした一言。 『今年は初めてお節料理を作らなかったのよ。初めて夫婦ふたりきりで迎えて… お節料理をこれまで一生懸命作ってきたけど、誰か継ぐ人はいるのかなぁ。ちゃんとそれぞれの記憶や味に残っているから、それでいいんだけど』と。 ちょっと寂しそうな感じでした。 これまでお正月は帰省していたので、お節料理はいつか作らなきゃと思いつつ、作る機会も作る気もなかったわたし。母親はそんなこと思っているともつゆ知らず、そんな風に思っていたんだと深く心に残りました。 父親にはこれまでも誕生日のお祝いはしていたけれど、80歳の大きな節目にこれまでの感謝を心から伝えたい、どうしたら一番伝わるかを考えた時『そうだ、お節料理を作って、持って行ってお祝いしよう』と思いました。 毎日一生懸命仕事をして、本当に忙しい日々の中、お誕生日や年中行事は欠かさずやってくれた両親。特に美味しいものとお酒

森をツナグ
2021年3月26日読了時間: 5分


父の日に。心からのありがとう。
ずっと父親に心からのありがとうを伝えたいと思ってました。 一代で仏壇屋を大きくした父親。 頭では感謝の気持ちはあっても、昭和な価値観の父親に反発ばかりで、なかなか素直に受け入れられませんでした。 一週間くらい前、たまたま母親に電話がしたくなって話した時のこと。 わたしは父親の人生や想いを文章にまとめたいと思っていること、コロナがあっていよいよ早めにやらなければという思いを伝えると、母親も同じように考えてくれていました。早めがいいね、ちょうど父の日だね、というので、急遽実家に帰ることに。 一度家族でお父さんの積み重ねてきたものをちゃんと聞く機会を設けたいというタイミングとも重なり、弟たちも含めて、実家の家族5人で集まることになりました。 お父さんの80年近く積み上げてきた人生、家族と子どもに大変な思いはさせたくない一心で、自分は我慢してでも子どもたちへ大切なものを残してきたという想い。昔は理解できなかった父親なりの愛情の表し方や生き方が、心の奥底に響いて、涙が止まりませんでした。 お父さんの想いを聞いた後、家族ひとりひとりからお父さんへ想いとありが

森をツナグ
2020年6月21日読了時間: 2分


父親に手の温もりを。
個人的なお話です。 いま、実家の三重県桑名に帰っています。 少し前、肺炎で入院していた父親。無事に退院したのですが、身体の調子はもう少しというところ。整体で楽にできたらいいなと戻ってきました。 身体はどう?と聞いたら『入院中(整体の施術を)やってくれてから、腰が随分楽になったわ。ずっと行ってたマッサージと針は効かんから行くのやめたわ』と。 母親も、暖かいタオルで患部を温める『蒸しタオル』を毎日2回父親にやってくれているとのこと。頑固で基本『そんなもんええわ(いらんわ)』と断る父親がとても素直に、すごく気持ちよさそうにしてるといいます。 毎日やめられなかったビールも、身体が楽になることを知ってもう飲んでないみたいだし、夜中1時間おきに起きていたトイレも、ぐっすり寝られるようで1-2回に減ったそうです。 ホントによかったなと思いました。入院してる時、思いきって、父親に触れさせてもらってよかった。 オススメなのが『蒸しタオル』今回、改めて効果の高さに驚いています。とても楽になる&副作用ゼロなので、ぜひご自身にもご家族にも試されてくださーい✨ / 誰でも

森をツナグ
2019年12月6日読了時間: 2分
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