母との九州旅行③
- 森をツナグ
- 11月7日
- 読了時間: 3分
更新日:11月28日

翌朝は遊郭のあった丸山からスタート
父親は昔、遊郭の番頭さんだった
記憶があって
私はその頃に会っている
この料亭の番頭さんだと
思うんだけどと母を連れて行ったら
なんかわかるわ…これまで疑問に思ってきた
謎がこれでとけたわ、と
料亭は高台にあるので、
急な階段で料亭の入り口までのぼる

実家の仏壇屋の自社ビルには
1階の中央部分に2階までの
大きなエスカレーターがあった
母はこの階段を見て
だから、あの作りにしたのね…と
エレベーターもあって、わざわざ
エスカレーターをつける必要ないのに
わざわざつけた理由を納得していた
さらに、母はずっと父の骨董や物を選ぶ
鑑識眼の素晴らしさとセンスのよさが
どこから来たのか疑問を持っていたという
田舎育ちでもともと家が貧しかった父
仏壇の納品先で立派な家や庭を見ることが
あっても、それ以上のセンスのよさは
身につける方法がなかったはず
過去の丸山遊郭で、たくさんの舶来物の
骨董や文化に触れていたとしたら
今世もしつこい性格だったけど笑
過去もしつこい性格だったとしたら
全て覚えて自分のものにしていただろう
とても納得がいく、と母
私は過去世は仮説に過ぎないし、
それに囚われる必要もないと思ってるけど
でも、長年疑問に思っていたことが
そうなのか!と納得できる答えが導ける
最適なツールでもあると思っている
父が長崎の遊郭で番頭をやっていて
その時に遊女の私を知っていたこと
番頭だからいつか自分の店を持ちたい
大きくしてやる!と息巻いていたこと
そのために真面目でよく働き勉強も
たくさんしていた私はきっと力になると
思っていただろうこと
繰り返し自分の身体の内側にある声を
聞いていって、長崎に足を運びながら
直感し明確化していきました
母は出島のオランダ商館で事務官
仕事をテキパキとこなす母のことを
父は知っていたはずだ
自分の商売を大きくするには
この人の存在が必要と思った違いない
お見合いで鎌倉から桑名に嫁いでもらった
父は高卒、母は大卒
キリスト教系学校に学んだ母が仏壇屋へ
母が経理や事務作業の一切を引き受け
父の仕事を全面的にサポートし
二人三脚で商売を大きくした
くしくもこの日は結婚50周年
父が自分の背景を理解してもらえて
喜んでいる感じがした
私も父の声を母に伝えることができて
仲繋ぎができて本当に嬉しかった
この後は、母がずっと行きたかった
平和記念公園へ
近くの駐車場は最後1台の空枠
駐車場を降りてすぐ平和祈念像
小学生たちが千羽鶴の奉納と合唱をする
ベストなタイミングにふたりで涙しました
→続く
