『大発見よ、大発見』母と紐解く過去生
- 森をツナグ
- 11月13日
- 読了時間: 3分

『大発見よ、大発見』と言って
母親から興奮気味に電話があった
『長崎に行ったあとでさぁ、
色々調べてたらわかったことがあって!』と母
父親が自社ビルを建てる時
自宅部分にどうしても入れたいと買ったのが
マリアさまが描かれた大きなステンドグラス。
他にも3枚ほど。
仏壇屋なのになぜステンドグラスなのか?
私も疑問に思ってたし、母も疑問に思ってた
長崎で、母がいの1番に行きたかった場所が
高校の頃に行った大浦天主堂
長い階段を登った先に教会がそびえる
『私、大浦天主堂でキリスト教を
伝える立場にあったと思う
だから昔から子どもの面倒みるの好きだし
おばあちゃんやおじいちゃん
みんな看取ってきてそれが苦にならないし
中学高校大学までキリスト教だったし
それで江戸時代の当時
遊郭で番頭さんやってたお父さんが
この教会を見にきたんだと思うわ。
だからあのステンドグラス。
いいって思ったんだろうね』
でね、と母が続ける
『ともちゃんが遊郭に連れて行ってくれたでしょ。
私には必要ないって思ったけど
奥にある青柳っていう料亭を見た時に
ここにお父さんいたわって思ったのよね。

青柳の歴史を調べてたら
私が長崎で行きたかった平和記念公園の
「平和祈念像」を制作した彫刻家の北村西望が
青柳に滞在しながら制作してたのよ』

『でね、うちのビルに入った右手に
仏像があったの覚えてる?あの制作者が
北村西望だったの!
あの仏像は骨董市で買ったんだけど
なんでその仏像?って思ってたのよね
お父さん、きっと北村西望のこと
知ってたんだと思うわ』
丸山遊郭の料亭青柳は江戸時代から
(丸山遊郭は1642年から)
大浦天主堂は1864年竣工(江戸末期)
(江戸時代は1603年 – 1868年)
平和記念像は1951年着工1955年除幕式
(北村西望は1884年生1987年没)
平和祈念像が作られたのは随分あとだけど
時代はかぶっている
『お母さんが宣教師だっただろうっていうのは
私もそう思ってたから、すごいしっくりくる
すごい裏切られたっていう記憶があってさ』と私
母と紐解いていく
現世でも、母は大学までキリスト教
のち仏壇屋に嫁ぎ、実家は浄土宗だけど
真言密教に惹かれて勉強をしている
最近は宗教や宗派を超えて祈りそのものの
世界に入っている
江戸時代、当時の私は隠れキリシタンだった
遊女ですごく苦しかった気持ちを
キリスト教によって救われたかった
当時の宣教師(母)から
教えられた教えを従順に守ることで
救われると思ってきたのに
最後にキリスト教じゃなくても
祈りは全てにつうずる、みたいなことを
突然言われて、一体私がずっと信じてきた
ものは何だったの?と裏切られた気持ちに
なったんじゃないか、と。
『ともちゃんが前世とか過去世とか言ってて
これまであんまり理解できなかったけど
なるほど、こうやって紐解いていくのね。
すごい納得したし、長年の疑問が解けたわ』と母
母は感じやすいタイプではあるものの
現地に行って、当時関わっていたであろう
人(今回は私)と話していくと
誰でも次第に記憶は思い出されてゆく
今回、一緒に旅ができて
全ての答え合わせが完結した感じがした
父も天国から喜んでる感じがした
