スリランカ【過去と今と未来をつなぐ旅】
- 森をツナグ

- 2月22日
- 読了時間: 4分
更新日:11月27日

スリランカの旅を振り返って
森をツナグ
〜 過去と今と未来をつなぐ旅 〜
1. 木としての記憶:
私は、森だったのかもしれない
私の中にはずっと、**「木だったかもしれない」**
という感覚がある
特にアフリカでバオバブを見たとき

スリランカで菩提樹に祈る人々を見たとき
そして太宰府天満宮のくすのきに触れたとき

それを強く感じた。
アフリカでは、木の根が地中深くに張り巡らされ
微生物や水とともに生きる感覚を身体で感じた
「私はこうやって、大地とつながり
命を支えていたのかもしれない」と思った。
スリランカでは、菩提樹の前で人々が純粋に祈る姿に心を打たれた。
「木に祈る」という行為は、ただの信仰ではなく、木が持つ知恵に問いかけること
そこに、私が昔「木だった頃」の記憶が
呼び覚まされた気がした。
太宰府天満宮のくすのき に出会ったとき
私は圧倒的な存在感を感じた。
それはただの「古木」ではなく
「時間をつなぐ存在」としてのくすのき
千年という時間の流れの中で
人々の祈りを受け続けてきたくすのき
まるで過去の自分と再会したような気持ちに
させた。
2. 祈りの風景:木として見ていた世界
私は平安時代の太宰府で
くすのきとして人々の祈りを見守っていたのかもしれない
木に祈る人々の姿
戦に向かう者、病を治したい者
大切な人の幸せを願う者…。
木は願いを叶えるわけではない。
ただ、そこに立ち、人々の祈りを受け止め、
見届けていただけ。
でも、それだけで十分だった。
スリランカの菩提樹と、日本の御神木。
どちらも人々が祈る対象だけれど、
役割が違う。
スリランカの菩提樹:個人の悟りを助ける木
日本の御神木(くすのき):共同体の祈りをつなぐ木
どちらも「祈り」と深く結びついているけれど
そのエネルギーの方向性が違う。
私はその違いを理解するために、今、改めて
木々の声を聞いているのかもしれない。
3. なぜ私は長崎の遊女になったのか
木として祈りを見守った後
私は江戸時代の長崎で遊女になった。
なぜ、木から「人間」、
しかも「遊女」になったのだろ
う?
それは、**「人の本音を知りたかったから」**
かもしれない。
遊女は、時代の中で最も「人間の本音」が
見える立場だった。
権力者も、商人も、異国の人々も、
遊女の前では心を開く。
本当の願い、本当の悩み、本当の祈りを語る。
私はそこで、オランダ人を通じて、
スリランカ人やアフリカ人、東南アジアの
人々と出会った。
彼らの言葉、暮らし、考え方を知り、彼らが
どのように世界を見ているのかを学んだ。
そして、彼らの生き方と、日本の仏教の
在り方に、どこか違和感を抱いていた。
4. 仏壇屋の娘として生まれた理由
私は今、日本で仏壇屋の娘として生まれてきた。
でも、幼い頃から「仏壇」に対して強い違和感を抱いていた。
「なぜ、手を合わせるの?」
「なぜ、決まった形で祈らなければならないの?」
私の中では、祈りはもっと自由なものだった。
スリランカの菩提樹の下で、
人々が心のままに祈るように。
太宰府のくすのきの前で
人々がそれぞれの願いを託すように。
日本の仏壇文化は、もともと
「個人が仏と向き合う場」だったはず。
でも、江戸時代を経て、家の宗教や
先祖供養の場へと変わっていった。
私が感じていた違和感は
そこにあったのかもしれない。
5. 「整体」という祈りのかたち
今、私は「整体」という仕事をしている。
これはただの整体ではない。
「身体を整えること=生き方を整えること」
「身体の声を聞くこと=内面と向き合うこと」
私は、仏壇という「かたち」ではなく、
「生きている人の身体の声を聞く」
という形で、祈りを紡いでいる。
過去に傷ついた記憶を癒し、今を生きる人が
よりよく生きられるようにする。
それは、木として祈りを見守っていた時と、
本質的には変わらない気がする。
6. すべての旅は「つなぐ」ためにある
これまで私は、日本全国の歴史を巡ってきた。
そして今、世界へと足を延ばしている。
オランダ、スリランカ、アフリカ…。
そこには、江戸時代に遊女として出会った
人々の記憶が残っている気がする。
「森をつなぐ」という私の役割
木々が根を張り、つながるように、私は歴史を
つなぎ、人々をつなぎ、祈りをつなぐ。
今はまだ、そのすべてが一本の道につながる
途中かもしれない。
でも、私は確信している。
この旅は、私が「つないでいく役割」として
日本と世界を、過去と現在と未来を
紡いでいく旅なのだ、と。




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