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執筆者の写真森をツナグ

父親の80歳『傘寿』のお祝いをしました



実家で父親の80歳『傘寿』のお祝いをしましたふたりの弟家族もみんなで大集合せっかくの機会なので、女性陣は着物を着て華やかに。



遡って、今年のお正月のことコロナで帰省できず、母親がポロッと漏らした一言。


『今年は初めてお節料理を作らなかったのよ。初めて夫婦ふたりきりで迎えて… お節料理をこれまで一生懸命作ってきたけど、誰か継ぐ人はいるのかなぁ。ちゃんとそれぞれの記憶や味に残っているから、それでいいんだけど』と。


ちょっと寂しそうな感じでした。


これまでお正月は帰省していたので、お節料理はいつか作らなきゃと思いつつ、作る機会も作る気もなかったわたし。母親はそんなこと思っているともつゆ知らず、そんな風に思っていたんだと深く心に残りました。


父親にはこれまでも誕生日のお祝いはしていたけれど、80歳の大きな節目にこれまでの感謝を心から伝えたい、どうしたら一番伝わるかを考えた時『そうだ、お節料理を作って、持って行ってお祝いしよう』と思いました。


毎日一生懸命仕事をして、本当に忙しい日々の中、お誕生日や年中行事は欠かさずやってくれた両親。特に美味しいものとお酒の大好きな父親は、和洋中たくさんの美味しいお店に連れて行ってくれました。『俺はあったかい家庭にしたいと思って一生懸命頑張ってきた』と、家族を本当に大切に、何不自由なく育ててくれました。昭和の頑固親父の典型のような父親にわたしは長らく反発してきたけれど、ここ1年くらいでようやく父親の愛情が本当に深くてあったかいものだと理解できて。父親と母親が一緒になって築きあげてくれた家族のあたたかさは、お節料理に集約されるなぁと。


わたしは料理が好きで、友人からは美味しいと言われるけど『うまくできてない』というコンプレックスがずっとありました。料理上手な母親には絶対敵わないという諦めの気持ち、小さい頃盛り付け方が下手だと言われ続けた(と思いこんでいた)のでわたしはうまくないという劣等感、弟ふたりも料理が上手でたびたび母親が褒めるのでわたしは女なのに弟たちに負けているという気持ち。


それらが渾然一体となってコンプレックスになり、実家ではほとんど料理を作ったことがありませんでした。特にお節料理は少し手伝っていたけど、絶対ひとりではできない!という思いがあり、わたしには大きなチャレンジでした。


特にできないと思っていたのは、黒豆と昆布巻きと煮染め。でもこれが作れれば、両親に対してわだかまりがある最後の壁を乗り越えられる。今回しかないと覚悟を決めて、ひとつひとつ練習しながら作っていきました。


よい材料を買うにも一苦労。丹波の黒豆、黒豆を煮るのに必要な錆びた釘、上質な日高昆布、お節料理をいれるお重。お節料理は本当に手間と時間がかかるということ…


自分で作ってみて初めて、母親がどれだけ頑張って作ってくれたかが見に染みました。年末30日までお店を営業して、その後作り始めて毎年ほとんど徹夜で仕上げていたって…本当によくやってくれていたよね。手がちゃんと覚えているということも驚きでした。昆布巻きの巻き方、れんこんやにんじんの飾り切り、手がちゃんと覚えていてくれました。味もよく覚えていて、記憶にはちゃんと染み付いていることも改めて実感しました。


結局、ほぼ徹夜で作って、新幹線で帰って迎えた当日。


父親、母親、弟に食べてもらって、みんな『美味しい!』と。みんな喜んで食べてくれている様子が本当に伝わってきました。『改めてお正月やね』と、両親がお正月用の食器も用意しておいてくれて、心遣いがすごく嬉しかった。敵わないと思っていた弟には『初めてお節料理作るから、そんなに期待してなかったら、めっちゃ美味しかったわ。お母さんの味やん』と。



今回覚悟を決めて、作って本当によかった。買ってきたプレゼントじゃなくて、本当はずっと手作りの料理を両親に食べさせてあげたかったんだなぁということもわかりました。


お節料理はお昼に、夜は弟家族もみんな集合で会食会。母親からは80歳の記念に80本の真っ赤な薔薇の花束毎年、父親から母親の誕生日に薔薇30本が送られてくるので、ずっとお返しがしたかったそうです。みんなのお祝いの言葉を書いた色紙、大きなケーキ。父親とみんなの笑顔。本当に幸せな時間でした。


夜遅くに母親と話していた時のこと。


『10年前、ともちゃんから30ページくらいの文章をもらって、そこから母娘や家族のことを改めて見つめなおしてきて。10年近くかかったけど、本当にあの時に渡してくれてよかった。いまは本当に楽で毎日が感謝しかない』と。


10年前、母娘関係が本当に苦しくなった時、これまでまとめていた自分の人生を書いた30ページくらいの文章を母親に送ったのでした。母親を批判する内容も含まれていて、本当に心が痛んだけれど仕方なかった。そこから時には激しく言い合ったり、永遠に解決しないんじゃないかと気が遠くなったりしたけど、本当に諦めず、対話をしてきて、父親とも同じように喧嘩しながら話をして、両親ともに一ミリのわだかまりなく、心から感謝し尊敬できる存在となれました。


わたしは全ての人間関係の根本は両親との関係にあると思っています。


幸いまだ生きているので、生きている間に心からの感謝を伝えて、一ミリのわだかまりもない関係になりたかった。今回のお祝いで、ようやくそうなれた、目に見えない束縛からやっと完全に自由になれた、そんな感じです。本当に諦めなくてよかったと、諦めずに頑張ってきた自分を褒めてあげたいし、向き合ってくれた両親にも心から感謝です。


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