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執筆者の写真森をツナグ

食べた、食べた、食べた。食べ物に対する飢餓感、不足感、全て埋めた。



食べた、食べた、食べた。食べ物に対する飢餓感、不足感、全て埋めた。食べたかったものは、美味しかったわけではない。でも、自分で食べたいものを、自分の意思で食べにいくことができる、親には違うことを言われようとも、わたしはそうしたいからそうするといって、行動できること、それがわかった。



そして、過去の記憶は、ある断面を切り取った、自分が解釈した一部の記憶であり、現実をずいぶん違って捉えていることもあるのだと。焼き鳥にいって、そんな大して美味しくもなかったけど、でも、あの当時はお父さんとみんなでわいわい食べるのが楽しかった。だから、思い出とともに、素敵な時間としてインプットされているのだ。


でも、もう、その味をみたした。もういい。小さい時のわたしももう十分満たされた。だから、わたしはこれから、自分の好きなものを、好きな時に、自由に、一緒に食べたい人ともに、食べていく。人生の過ごす方も同じ。過ごしたい人と一緒に積み重ねていく人生をわたしは選ぶ。


そして、自分の行きたいところに行った。心からの楽しくて、ようやく行けたというスッキリ感が本当に気持ちよくてたまらない(๑˃̵ᴗ˂̵)


わたしの人生をようやく取り戻した!


※※※※※※※

その後、太宰府に帰ってから。食べものに対する飢餓感が一切なくなり、そこの名物を食べなきゃみたいな強迫観念なしに、自分の食べたいものを食べたらそれで満足という感覚に切り替わった。それまでは、名物を食べなくちゃという強迫観念のようなものがあった。不足感や飢餓感を埋める。すごく大切なこと。

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